NBAにおけるスポーツアナリティクスの歴史。アイテストvsアナリティクスの対立構造はどう影響を及ぼすのか。何故ファンやレブロンらはアナリティクスを嫌い好むのか。
本記事は「NBAにおけるスポーツアナリティクスの波及過程」についてのメモ帳と言いますか、まとめと言いますか。兎に角、長い記事です。
お読みくださる方は、暇潰しにでもして頂けたら幸いです。
では改めまして。
シンプルでわかりやすい言説はそれだけで大きな影響力を持ちます。
アメリカ選挙戦の宣伝・スローガン・プロパガンダでは、しばしば短く印象的なセンテンスが繰り返されます。
バラク・オバマ元大統領の“Change”「変革」、“Yes, we can”「我々なら出来る」。
ロナルド・レーガン元大統領やドナルド・トランプ元大統領の“Make America Great Again”「再びアメリカを偉大に」。
選挙戦に限らず、優れたキャッチコピー・キャッチフレーズは大体が“短い文章”もしくは“わかりやすい単語の組み合わせ”です。
応用心理学・産業/組織心理学の創始者の一人ウォルター・ディル・スコットは広告/プロパガンダの6原則の1つに「言葉はシンプルである方が良い。コピーはできるだけ簡単で衝撃的なものにするべきである」ことを挙げています。
引用元:松井一洋氏「真実の情報はありうるか」。リンク
アドルフ・ヒトラー著『我が闘争』にある
「宣伝効果のほとんどは、人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最少にすべきである」
「宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまでにそのスローガンを繰り返し続けることである」
という言葉も有名です。
これらの宣伝手法はNBAのマーケティングは勿論、“Analytics”「アナリティクス」にも影響を及ぼしています。
まず「NBAにおけるアナリティクスとは何ぞや」についてですが、これがまた厄介な事に、人によって様々です。
私はアナリティクスを「過去のデータを基に何らかの結果と原因や行動指針を導き出す事」と定義しています。“Analytics”が元々持つ「分析」という意味とそう変わりません。バスケットボールリーグの誕生以降常に用いられてきたものです。
「アナリティクス」自体は古くから存在します。
しかし、NBAのファンコミュニティにおいて“Analytics”「アナリティクス」という単語が頻繁に聞かれるようになったのは、ここ10数年での事です。(それがいつなのかも諸説あります)
しかし「アナリティクス」が元々持っていた意味と、ここ10数年で聞かれるようになった「アナリティクス」の意味には、どうやら違いがあるようです。
現代のNBAファンが口にする「アナリティクス」は、有り体に言ってしまえば、“Advanced Stats”「アドバンスド・スタッツ」や「それらを基にして出来た新しい戦術・理論」と同義な事が多いようです。(※)
※:“Advanced Stats”「アドバンスド・スタッツ」もまた人によって定義が様々なのでヤヤこしいですが、ここでは従来親しまれてきたPerGameスタッツ・カウントスタッツ・シンプルな%スタッツよりも複雑な計算式を持っていたり、より細かく詳細で新しく出来たスタッツ群を「アドバンスド・スタッツ」と呼ぶ事にします。
「アナリティクス嫌い」を公言する方は大体がこの意味で使っていると思います。2010年代にNBAファン・メディアの間で「アナリティクス」が頻繁に聞かれるようになって以降、ファン・メディア・元選手・現役選手etc.色々な人間が「アナリティクス」への反感を表明してきました。
何故か?
それはアナリティクスを「新しく出来た、役に立たない評価方法」「スポーツから楽しみを奪う無粋なモノ」と捉えているからだと思います。また、そう感じた時に人はアナリティクスへ嫌悪感を抱くのだと思います。
私は「その捉え方は間違っている」とは全く思いません。何故なら、アナリティクスはそうなり得ますし、私も実際にそう用いられているのを幾度となく目にしてきたからです。私自身も「そうした事が一度もない」とは言えません。
私は浅学ながらアナリティクスをこよなく愛し、NBAファンとして、その楽しさ・利益を享受してきた人間です。
だからこそ、その使い方には注意を払い出来る限り無粋にならないように、その楽しさの周知に努めています。(自己満足な部分が殆どですけども)
で、NBAにおけるアナリティクスが周知される際、NBAにおける「アナリティクスの歴史」が語られる際、必ずと言って良いほど言及される事に“The 3point Revolution”「3P革命」や“Seven Seconds or Less”「7秒以下オフェンス」があります。
ある程度NBAに親しんだ人間なら聞いた事がある人が殆どで、今後NBAに興味を持ち始めた人間へも語られ続けるでしょう。
何故なら、これらはシンプルで衝撃的な文言だからです。“短い文章”で“わかりやすい単語の組み合わせ”だからです。
アナリティクスにまつわる有名な言説には“Analytics hate mid range”「アナリティクスはミッドレンジショットを嫌う」なんてのもあります。
アドバンスドスタッツ・総合指標が優秀もしくは劣悪な選手を指して“Analytics Love ○○ ”、“Analytics Hate ○○”といった言い回しもよく見ます。
恐れながら言わせてもらいますと、これら文言には“良くも悪くも人を惹きつける”、“興味を抱かせる”以上の意味はありません。
何も説明してはいませんし、正確に表せてもいません。
“Change”や“Make America Great Again”と然程変わりません。キャッチーではあっても具体的な中身を説明していません。当たり前ですよね、だって“短い”ですから。
しかし、多くの人にとっては、そのシンプルな文言や「アドバンスドスタッツが優秀=良い選手、劣悪=悪い選手」といった単純な推論が「アナリティクス」への印象なのだと思います。
わかりやすい例にPER・BPM・LEBRON、RAPTOR、EPM、RAPMといった総合指標(All in 1 Metrics、Catch All Metrics)、影響指標(Impact Metrics)の存在があります。数字一つで選手を総合的に評価しようとする、ある意味“単純”な指標です。(中身は超複雑です)
PERを例にとって話してみましょう。
PERはジョン・ホリンジャー(※)によって考案されました。
※1:John Hollinger。NBAアナリスト。現The Athleticシニアライター。グリズリーズのバスケットボール運営副社長を務めていた事もあります。
20代の頃から選手を評価するため、貢献を数値化するための手法を考え、それらを人々に伝えてきたバスケットボールアナリティクス界の偉人の一人。
PERを考案したのは2000年前後と言われ、「PER並びに所謂アドバンスドスタッツの欠点や留意点」を周知しながら、同時にスポーツアナリティクスをより身近な存在にしました。その先進性とバスケットボールアナリティクスへの貢献は計り知れません。
ホリンジャーという人は20代半ばの頃から趣味でバスケットボールアナリティクスのサイトを運営するほどのバスケフリークであり、ESPNやウォールストリートジャーナルやスポーツイラストレイテッドから注目され寄稿をするほどの若き優れたアナリストでした。
ホリンジャーがPERを考案したのはOregonLive.com在籍時2000年、30歳前後の頃だと言われていて、2000年代中頃に公開されるまで幾許かの間がありました。
ESPN.comで「PERは選手の能力や貢献全般を一つの数値で表した便利かつ画期的な評価基準」として喧伝された事で、しばらくの間アナリティクスに興味のないNBAファンの間でも、PERはそれなりの信頼と影響力を持つようになったんです。
何故なら“わかりやすかった”からです。数値が高ければ良い選手、低ければ悪い選手といった具合に。
ホリンジャーは折を見てPERの欠点や留意点も解説していましたが、その詳しい解説が一般的なNBAファン層へと届くことは殆どありませんでした。
何故なら“複雑だった”からです。大多数のNBAファンはアナリティクスが本来持っている“複雑さ”や“奥深さ”を求めてはいません。
こう書くと大多数のNBAファンを非難しているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。
あくまでもスポーツの魅力はスポーツそのものにあって、ファンにとってアナリティクスその他は所詮“オマケ”です。私のような暇人なら兎も角、“オマケ”に時間を割かないのは至極当たり前で合理的な事です。
ホリンジャーもそれがわかっているからこそ、PERというシンプルでわかりやすい指標を考案したわけでしょうしね。
しかし、ほどなくして今度は逆に「PERは欠陥指標」という言説が流行り始めました。曰く「ディフェンスへの考慮が不十分」ですとか「出場時間の少ない選手への評価には適していない」ですとか、まぁ色々です。
皮肉な事に、それら欠点や留意点を熟知しているホリンジャー自身に、その欠点や留意点を説く人間すら出てきました。(現在“The Athletic”でシニアライターを務めているホリンジャーの書いた全く関係ない記事に「PERは○○だから欠陥指標だ」みたいなコメントする方も偶にいます)
過去PERがまるで万能指標のように捉えられた事と現在PERが何の役にも立たたない欠陥指標と捉えられる事は、よく似ています。
両方とも「極端」です。
前者は「PERは多くのスタッツを考慮した新しい指標だから今までの上位互換の優秀な指標」、後者は「PERはPPGなどの古いスタッツしか考慮していない時代遅れの指標だから最近の総合指標の下位互換で欠陥指標」、両方とも「極端で単純」という共通点を持っている感想です。
RAPTORだろうがEPMだろうがPERだろうがFG%だろうがTS%だろうが最新だろうが古臭かろうが何であろうが、「あらゆるスタッツ/指標はコンテキストが大事で、多角的に用いることが求められる」という事は一緒です。
説教臭い書き方で恐縮ですが、PERを欠陥指標と言いながらPPG/RPG/APGを並べて選手を評価する事は、私には「『カツカレー大嫌い』と言いながらカレーライスを食う」みたいなモヤモヤがあるんです。
「カレーライス(カウントスタッツ)好きなら、そんなにカツカレー(PER)を嫌う事ないだろ」って思っちゃうんです。
私自身、カツカレー(PER)の御世話になる事はめっきり少なくなりましたし、ここで愚痴ってもしょうがないんですけど、最近PERばっかり嫌われてワタクシ些か寂しい気持ちなのです。
えらく話が逸れましたが、
“シンプルさ”と“わかりやすさ”と“便利さ”を持つPERという総合指標は、その“シンプルさ”と“わかりやすさ”と“便利さ”が故に流行し、同時に“シンプルさ”と“わかりやすさ”と“便利さ”が故にPER・アナリティクスへの違和感と嫌悪感を生みもしました。
そして、その違和感や嫌悪感はナンセンスな対立構造へと繋がりもしました。前述のケンドリック・パーキンスのTweetにもある「アナリティクス対アイテスト(試合を観て評価する事)」の対立構造です。
アナリティクスの台頭以前から「スタッツ対アイテスト」という対立構造はありました。
「スタッツで評価する事」と「試合を観て評価する事」を相反する事のように別々に捉える方や、どちらか一方だけを信用する方が少なからずいらっしゃいました。
私の話し方が悪かったのは前提として、当時スタッツやデータの話ばかりしていると「試合を観ろ」という事を昔よく言われました。観てたんですけどね。
余談:1996年頃、私は月刊バスケットボールを購読していたんですけども、当時は選手・コーチの談話やプレイ解説(と広告)が多くてスタッツやデータの記載はあまり多くなかったです。
そんな中、日本に馴染みの深い前デトロイト・ピストンズHCドウェイン・ケーシーさんが「Mr.ドエンの超音速(スーパーソニック)バスケットボール」という連載をしてくれていて(金丸敦子女史訳)、その「Mr.ドエンの超音速バスケットボール」では毎回非っ常に貴重なデータ・スタッツが公開されていました。
・・・・・・それを語れる相手はいませんでしたよ、ええ。
今はインターネットの普及も手伝って誰しもが気軽にスタッツへとアクセスできますから、スタッツの話自体が嫌悪感を抱かれたりはしないと思いますが、馴染みの薄いスタッツ・アナリティクスの話に対して「試合を観ていない」といった感想を持つ方や、自身のアイテストと一致しないスタッツや指標を「この指標は役に立たない」と切り離して考える方はやっぱり目にします。
自身のアイテストと一致しないスタッツや指標を目にした時は、そのスタッツを鵜呑みにする必要はないし、同時に「役に立たない」と無視する必要もない。どうするかはあくまで自由ですが、何故そうなったかを知りたいのであれば、そのスタッツと自身のアイテスト両方の理解を深める事が重要となります。
「アナリティクス」「3P革命」「アドバンスドスタッツ」、これらは全て選手やコーチを含む沢山の人間の知恵と研鑽、複雑な要素が幾重にも絡まって出来上がったモノです。
「アナリティクス」つまり「データに基づいた分析」はミッドレンジショットを嫌ったりはしません。「アナリティクス」がレブロンやカワイ・レナードやケビン・デュラントに向かって「ミッドレンジ嫌いだから打たないでね」と言った事は一度たりともありません。何らかのデータを見てそう解釈する人がいても、それはその人がそう解釈したというだけです。「「アナリティクス」自体は何も嫌わないし、好きになったりもしません。そう“見えても”、です。
「3P革命」はステフィン・カリーが代名詞ではあっても、誰か一人がもたらしたものではありません。ステフでもジェームズ・ハーデンでもダリル・モーリ―でもウォリアーズでもロケッツでもありません。トランジッションオフェンスを多く生む堅牢なディフェンスやソレを可能にするコーチング・ロスター編成など多くの人間・環境が伴って実現したものです。
「アドバンスド・スタッツ」は便宜上従来のスタッツ群と区別されていますが、その目的や本質は同じです。上位互換でもなければ、「あらゆるスタッツ/指標はコンテキストが大事で、多角的に用いることが求められる」という事に違いはありません。
下記ショットチャートはプレイオフ含む今季2023シーズンのKDのものです。下記データからKDはミッドレンジでも効率的な事がわかります。このデータはミッドレンジを嫌ってはいないように見えますね。
念を押しますが「だからアナリティクスはミッドレンジを嫌ってはいない」と言いたいんじゃあないです。
「いずれのデータもソレのみでは有意なものにはなり得ない」という事が言いたいんです。
つまり「データから有意な情報を引き出すには人間による思考・考察が絶対に必要」で「人間の思考回路には個人差があるので、データ・アナリティクスから得られる答えや推論にも当然差が出る」という事です。(もしも最近話題の人工知能・Chat GPTがより高知能を伴ってNBAアナリティクスにも参入してくれば、また話は変わってくるでしょうけど)
アナリティクスが勝手にモノを言って、自ら答えを出してくれるのならアナリストなんて存在は必要ありません。NBA各チームがアナリティクス部門のコーチを雇ったりもしません。
言い換えれば「任意のデータから勝利・好パフォーマンスに繋がる推論、ニーズに合った行動指針」を導き出せるのが優秀なアナリストであり、「賢いアナリティクスの使用法」と言えます。
前述の「アナリティクス対アイテスト」の対立構造・アナリティクスとアイテストどちらか一方を選ぶ取捨選択は「賢いアナリティクスの使用法」とは真逆の行いです。
アイテストとアナリティクスは水と油ではありません。言うなれば、ジョーダン&ピッペン、ステフ&ドレイモンド、ヨキッチ&マレーetc.にもなり得るデュオです。
勿論、我々NBAファンはアナリストでもなければ、アナリティクスが必須な存在でもありませんので、アナリティクスへの思いは自由であり、そこに良いも悪いもありません。
選手だって似たようなもんでしょう。レブロンにしろエンビードにしろ、コービー・ブライアントだってアナリティクスに不快感を示した事はありますが、それがパフォーマンスへ悪影響を与えないのであれば100%彼らの自由ですし、彼らは実際ハイパフォーマンスを維持してきましたからね。
加えて、私の勝手な解釈ではレブロンらも「安易なアナリティクスに基づいた指図・推論」が嫌なのであって、本来の意味での「アナリティクス」には一定の信頼を置いてると思います。ベンチでスタッツシート眺めてるシーンを目にしますし、専門のスタッフを雇ってコンディショニング管理をしてるくらいですから。
・・・・と、ここまで書き連ねたところで本記事のまとめ。(えらく中途半端ですけど、長くなりすぎましたし、眠くなってきたので)
NBAにおけるアナリティクスは様々な意味を持ち、筆者のように「NBAをより楽しむためのツール」として好む人間もいれば、「アテにならない無粋なモノ」として嫌う人間もいる、そのどれもが間違いではない。ファンにとってアナリティクスはあくまで自由。
アナリティクスは「PER」や「3P革命」のような“わかりやすさ”を持った指標・文言によって多くのNBAファン層に周知されたが、それ故に多くの違和感や嫌悪感を生み、アナリティクスの可能性を狭めてしまってもいるのではないか。
応用心理学・広告原則において有効とされる“わかりやすさ”や“シンプルさ”にこだわった喧伝手法は、NBAファン層へのスポーツアナリティクス周知にも確かに有効だったが、「理解を深める事の足枷になっている」とも言えるのではないか。
本記事の要点を絞るとしたら↑の二つです。
最後に
こうやって話が長くなるのもアナリティクスが嫌われる立派な理由です。気を付けましょう。
あと皆カツカレーも食え。
以上。
今回はこの辺で。ではまた。おやすみなさい。